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世界史探究×日本史探究、近世〜近代の44問。

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📝 問題と解説の全文(44問)

歴史探究アーカイブ【世界史×日本史】 の全44問を、解説つきで読める形に並べています。アプリを起動しなくても、ここだけで内容を確かめられます。各見出しを開くと、問題文・選択肢・正解・解説が出ます。

世界史・近世

大航海時代

15世紀末、ポルトガルやスペインが新航路の開拓に乗り出した主な動機として最も適切なものはどれか。

  1. オスマン帝国などを経由せず、アジアの香辛料を直接手に入れようとしたから
  2. アメリカ大陸の存在がすでに正確に知られていたから
  3. 産業革命で生産した工業製品の市場を求めたから
  4. スエズ運河の完成で航海が容易になったから

正解:1番

当時、香辛料はイスラーム商人・イタリア商人を経由して高値で取引されており、直接取引への欲求が新航路開拓の大きな動機となった。産業革命(18世紀後半)やスエズ運河(1869年)は時代が大きくずれる選択肢で、年代感覚を試す定番のひっかけ。「宗教的情熱(レコンキスタの延長)」も動機に加えて覚えると論述にも使える。

価格革命

16世紀、アメリカ大陸産の銀が大量にヨーロッパへ流入した結果として最も適切なものはどれか。

  1. 物価が高騰し、固定地代に頼る領主層の力が弱まった
  2. 物価が下落し、農民の生活が苦しくなった
  3. 銀の価値が上がり、金銀複本位制が確立した
  4. ヨーロッパの銀山開発が一気に活発化した

正解:1番

銀の大量流入で貨幣価値が下がり物価が上昇したのが「価格革命」。固定額の地代収入に頼る領主は実質的に貧しくなり、封建社会の解体が進んだ。「銀が増える→物価が上がる」という因果を逆にした選択肢が典型的なひっかけ。探究科目では「銀の流れが社会構造を変えた」という因果の説明がそのまま問われる。

商業革命

大航海時代の結果、ヨーロッパの商業に起きた変化として最も適切なものはどれか。

  1. 貿易の中心が地中海から大西洋岸へ移った
  2. 貿易の中心がバルト海から地中海へ移った
  3. イタリア諸都市の商業がいっそう繁栄した
  4. 東方貿易が完全に途絶した

正解:1番

新航路の開拓により、貿易の主役は地中海のイタリア諸都市から、リスボンやアントウェルペンなど大西洋岸の都市へ移った(商業革命)。「イタリアが繁栄した」は原因と結果を取り違えた逆のひっかけ。価格革命(物価上昇)とセットで、大航海時代の二大経済的影響として整理しておくと混同しない。

宗教改革

1517年にルターが「九十五か条の論題」を発表する直接のきっかけとなったものはどれか。

  1. 教皇庁による贖宥状(免罪符)の販売
  2. イエズス会の海外布教
  3. ナントの王令の廃止
  4. イギリス国教会の成立

正解:1番

サン=ピエトロ大聖堂の改築費を集めるための贖宥状販売をルターが批判したことが宗教改革の発端。「信仰によってのみ義とされる」という彼の主張と結びつけて理解する。イエズス会は宗教改革への対抗として後から生まれた組織であり、順序を逆にした選択肢に注意。因果の順番(贖宥状→ルター→対抗宗教改革)を問う出題が多い。

ルターとカルヴァン

ルターと比較したとき、カルヴァンの教えの特徴として最も適切なものはどれか。

  1. 魂の救済は神にあらかじめ定められているとする予定説を唱え、蓄財を肯定して商工業者に広まった
  2. 諸侯や領主層の保護を受け、農民の蓄財を厳しく禁じた
  3. 教皇の権威を認めつつ教会内部の改革のみを訴えた
  4. 聖書よりも教会の伝統を重視した

正解:1番

カルヴァンは予定説を説き、職業に励むことを神の栄光を現す行為とみなしたため、結果的に蓄財が肯定され商工業者層に支持が広がった。ルター派が諸侯を中心に広まったのと対照的で、この「支持層の違い」が比較問題の核心。「予定説=努力すれば救われる」と誤解した選択肢に引っかからないよう、「救いは予め決まっている」と正確に押さえる。

イエズス会

宗教改革に対抗してカトリック側が行った動きとして最も適切なものはどれか。

  1. イエズス会が結成され、海外布教や教育活動を積極的に行った
  2. 贖宥状の販売をさらに拡大して財政を立て直した
  3. 教皇がルターの主張を全面的に受け入れた
  4. カトリック教会がプロテスタント諸派と合同した

正解:1番

カトリック側はトリエント公会議で教義を再確認し、イグナティウス=ロヨラらが結成したイエズス会が海外布教と教育で勢力回復を図った(対抗宗教改革)。ザビエルの日本布教もこの流れの一部で、世界史と日本史をつなぐ論点として探究で好まれる。贖宥状は批判の的だった側であり、拡大したとする選択肢は逆。

絶対王政

絶対王政を思想面で支えた「王権神授説」の内容として最も適切なものはどれか。

  1. 王の権力は神から授けられたものであり、人民や教会に制約されないとする考え
  2. 王の権力は人民との契約に基づくとする考え
  3. 権力を立法・行政・司法に分けるべきだとする考え
  4. 王は議会の同意なしに課税できないとする考え

正解:1番

王権神授説は王の支配権を神に由来するものとし、絶対王政を正当化した(ボシュエらが主張)。人民との契約とする社会契約説や、権力分立論はむしろ絶対王政を批判する側の思想で、対立関係を入れ替えた選択肢が定番のひっかけ。「何を正当化する理論か」という機能で覚えると混同しない。

ルイ14世

フランスのルイ14世の治世について、財務総監コルベールが進めた政策として最も適切なものはどれか。

  1. 国内産業を保護・育成し輸出を増やす重商主義政策
  2. 貿易を完全に自由化する自由放任政策
  3. 農業のみを富の源泉とみなす重農主義政策
  4. 教会財産を没収して国有化する政策

正解:1番

コルベールは王立マニュファクチュアの育成や保護関税により輸出超過をめざす重商主義(コルベール主義)を推進し、絶対王政の財政を支えた。自由放任(レッセ=フェール)や重農主義は18世紀に重商主義を批判して現れた考えで、時代順を逆にした選択肢に注意。「絶対王政=常備軍・官僚制+重商主義」とセットで覚える。

清の統治

清が漢人を統治するうえで用いた政策の説明として最も適切なものはどれか。

  1. 辮髪の強制など威圧策と、科挙の実施など懐柔策をあわせて用いた
  2. 漢人の官吏登用を全面的に禁止した
  3. 満州人の風習をすべて廃止して漢人に同化した
  4. 科挙を廃止して世襲の身分制を導入した

正解:1番

少数の満州人が多数の漢人を治めるため、清は辮髪強制や文字の獄といった威圧策と、科挙の継続や満漢併用制といった懐柔策を巧みに組み合わせた。「アメとムチの両面」という統治の構造を問うのが探究らしい出題で、どちらか一方だけを述べた選択肢は不十分。科挙廃止は20世紀初頭(光緒新政)の話で時代が異なる。

アクバルの寛容策

ムガル帝国のアクバルと後のアウラングゼーブを比較した説明として最も適切なものはどれか。

  1. アクバルはジズヤを廃止してヒンドゥー教徒と融和したが、アウラングゼーブは復活させて反発を招いた
  2. アクバルはジズヤを新設し、アウラングゼーブが廃止した
  3. 両者ともヒンドゥー教徒を弾圧し続けた
  4. 両者ともイスラーム教を捨ててヒンドゥー教に改宗した

正解:1番

アクバルは非ムスリムへの人頭税ジズヤを廃止しヒンドゥー教徒と融和して帝国の基礎を固めたが、厳格なアウラングゼーブはジズヤを復活させ、各地の反乱を招いて帝国衰退の一因を作った。「廃止した人物」と「復活させた人物」を入れ替えるのが最頻出のひっかけ。宗教政策と帝国の盛衰を結びつける因果理解が問われる。

オスマンの統治

オスマン帝国が多様な民族・宗教を統治するために用いた仕組みとして最も適切なものはどれか。

  1. キリスト教徒などの共同体(ミッレト)に自治を認め、貢納と引き換えに信仰を保障した
  2. 帝国内のすべての住民にイスラーム教への改宗を強制した
  3. 非ムスリムの官僚登用をいっさい認めなかった
  4. 宗教ごとに国土を分割して独立させた

正解:1番

オスマン帝国は非ムスリムの宗教共同体ミッレトに納税を条件として自治と信仰を認め、広大な多民族帝国を安定させた。またデヴシルメでキリスト教徒の子弟を登用(イェニチェリ等)しており、「改宗強制」「登用せず」はいずれも事実と逆。「寛容による統治」という構造を清の懐柔策などと比較させるのが探究的な出題パターン。

世界史・近代

名誉革命

1688〜89年のイギリス名誉革命の結果として最も適切なものはどれか。

  1. 権利の章典が定められ、議会主権に基づく立憲王政が確立した
  2. 国王が処刑され、共和政(コモンウェルス)が樹立された
  3. 絶対王政が強化され、議会が解散させられた
  4. カトリックが国教として復活した

正解:1番

名誉革命ではジェームズ2世が追放され、ウィリアム3世とメアリ2世が権利の章典を承認して即位し、「王は君臨すれども統治せず」につながる立憲王政の基礎が固まった。国王処刑・共和政はピューリタン革命(1649年チャールズ1世処刑)の内容で、二つの革命の結果を入れ替えるのが定番のひっかけ。

アメリカ独立革命

アメリカ独立革命が起こる背景として最も適切なものはどれか。

  1. 本国議会に代表を送れない植民地への課税強化に、植民地側が反発した
  2. 奴隷制の存続をめぐって南部と北部が対立した
  3. フランスがアメリカ植民地を武力で併合しようとした
  4. 本国が植民地への課税をすべて廃止した

正解:1番

七年戦争後の財政難からイギリスは印紙法・茶法などで植民地課税を強化し、「代表なくして課税なし」を掲げる植民地側の抵抗(ボストン茶会事件など)が独立戦争へ発展した。南北対立は独立後の南北戦争(1861年〜)の論点で、約90年後の出来事を混ぜたひっかけ。「戦費調達→課税→反発」という因果の鎖で覚える。

フランス革命

1789年にフランス革命が勃発する直接の背景として最も適切なものはどれか。

  1. 戦争出費などによる財政難を打開するため、免税特権の見直しをめぐって三部会が招集された
  2. 産業革命の進展で労働者のストライキが頻発した
  3. ナポレオンの大陸封鎖令で経済が混乱した
  4. プロイセンがパリを占領した

正解:1番

アメリカ独立戦争への支援などで悪化した財政を立て直すため、特権身分への課税を図って三部会が招集され、その議決方法をめぐる対立から国民議会の成立、バスティーユ襲撃へと進んだ。ナポレオンは革命の「後」に登場する人物であり、革命の原因とするのは時系列の逆転。「財政難→三部会→革命」の流れが最頻出。

産業革命の条件

産業革命が世界に先がけてイギリスで始まった要因として最も適切なものはどれか。

  1. 広大な海外市場、豊富な資本、囲い込みで生じた労働力など諸条件がそろっていたから
  2. 世界で最初に鉄道が発明されていたから
  3. 絶対王政が産業をすべて国営化していたから
  4. 農業を完全に放棄して工業に専念したから

正解:1番

イギリスには植民地という市場、貿易で蓄積された資本、第2次囲い込みで土地を離れた労働力、石炭・鉄などの資源、マニュファクチュアの技術蓄積といった条件が重なっていた。鉄道は産業革命の「結果」(19世紀前半)であり、原因に置く選択肢は因果の逆転。「なぜイギリスか」を複数要因で説明させるのが探究の定番論点。

産業革命の影響

産業革命がイギリス社会にもたらした変化として最も適切なものはどれか。

  1. 資本家と労働者という新しい階級が形成され、労働問題や都市問題が発生した
  2. 農村人口が増加し、都市の人口が減少した
  3. 手工業者の生活が以前より安定した
  4. 児童労働が法律で最初から全面禁止されていた

正解:1番

工場制機械工業の確立で産業資本家と賃金労働者への分化が進み、長時間労働・児童労働・都市の衛生問題などが深刻化した(のちに工場法などで規制)。機械に仕事を奪われた手工業者はラダイト運動(機械打ちこわし)を起こしており、「安定した」は逆。人口は農村から都市へ流入した点も、逆向きの選択肢として頻出。

ウィーン体制

ナポレオン戦争後のウィーン会議で基本原則とされた「正統主義」の内容として最も適切なものはどれか。

  1. フランス革命以前の王朝と旧体制を正統とみなして復活させる考え
  2. 各民族が自らの国家をもつべきだとする考え
  3. 国際紛争を国際機関の調停で解決する考え
  4. 自由貿易を各国に義務づける考え

正解:1番

正統主義はフランス外相タレーランが唱え、革命前の主権と秩序の回復をめざすもので、ウィーン体制の保守的性格を決定づけた。民族自決は第一次世界大戦後(ウィルソンの十四か条)の原則であり、約100年後の概念を混ぜた時代錯誤のひっかけ。以後の自由主義・ナショナリズム運動は、この体制への反発として整理すると流れがつかめる。

帝国主義

19世紀末に欧米列強がこぞって植民地獲得に乗り出した(帝国主義)背景として最も適切なものはどれか。

  1. 第2次産業革命で独占資本が成長し、原料供給地と資本の投下先を求めたから
  2. 世界恐慌により各国が金本位制を離脱したから
  3. 冷戦下で東西両陣営が勢力圏を争ったから
  4. 宗教改革の対立が植民地に持ちこまれたから

正解:1番

重化学工業中心の第2次産業革命により巨大化した独占資本が、原料・市場に加えて資本輸出の対象を求め、国家がそれを軍事力で後押ししたのが帝国主義。世界恐慌(1929年)や冷戦(第二次世界大戦後)は明らかに後の時代で、年代感覚を試す選択肢。「商品の輸出」から「資本の輸出」への重点移動が説明できると論述でも強い。

ファショダ事件

1898年のファショダ事件とその後の英仏関係の説明として最も適切なものはどれか。

  1. アフリカ分割で両国が衝突しかけたが、フランスの譲歩で衝突を回避し、のちの英仏協商につながった
  2. 両国が全面戦争に突入し、第一次世界大戦の直接の引き金となった
  3. イギリスが譲歩してフランスがエジプトを獲得した
  4. 事件を機に両国は同時にアフリカから撤退した

正解:1番

イギリスの縦断政策とフランスの横断政策がスーダンのファショダで衝突したが、ドイツの台頭を警戒するフランスが譲歩して戦争を回避し、1904年の英仏協商(エジプト=英、モロッコ=仏の優越権を相互承認)へと転じた。「対立が一転して提携へ」という転換点の理解が問われる差のつく論点で、戦争になったとする選択肢は誤り。

三国同盟と三国協商

第一次世界大戦直前のヨーロッパの対立構図として正しい組み合わせはどれか。

  1. 三国同盟=独・墺・伊、三国協商=英・仏・露
  2. 三国同盟=英・仏・露、三国協商=独・墺・伊
  3. 三国同盟=独・英・伊、三国協商=仏・露・墺
  4. 三国同盟=独・墺・露、三国協商=英・仏・伊

正解:1番

ビスマルク以来の三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)に対し、ドイツの世界政策を警戒する露仏同盟・英仏協商・英露協商が結びついて三国協商が成立した。二つの陣営のメンバーを入れ替えるのが最も単純かつ頻出のひっかけ。なおイタリアは「未回収のイタリア」をめぐる対墺対立から、大戦では協商側で参戦する点も問われやすい。

第一次世界大戦

第一次世界大戦が従来の戦争と大きく異なった点として最も適切なものはどれか。

  1. 国民・経済・科学技術を総動員する総力戦となった
  2. 戦闘が職業軍人どうしの短期決戦で終わった
  3. 戦車や毒ガスなどの新兵器は使用されなかった
  4. 女性の社会進出がかえって後退した

正解:1番

第一次世界大戦は長期化のなかで生産・労働・思想まで国家が動員する総力戦となり、戦車・毒ガス・飛行機などの新兵器も投入された。男性の出征を補うため女性が軍需工場などで働き、戦後の女性参政権拡大の一因となった点は「戦争が社会を変えた」因果として頻出。短期決戦の見込みが外れたこと自体が総力戦化の背景である。

世界政策の演説

19世紀末のドイツで、ある政治家が「われわれも日の当たる場所を要求する」と演説した。この主張が示す政策転換の説明として最も適切なものはどれか。

  1. ビスマルク的な現状維持外交を捨て、艦隊建設と植民地獲得を進める世界政策への転換を示した
  2. フランスとの和解を最優先する協調外交への転換を示した
  3. 植民地をすべて放棄して国内改革に専念する方針を示した
  4. ロシアとの再保障条約の更新を最優先する方針を示した

正解:1番

この主張はヴィルヘルム2世期ドイツの世界政策(3B政策・建艦競争)を象徴するもので、勢力均衡と対仏孤立化を軸としたビスマルク外交からの転換を示す。再保障条約はむしろ更新を拒否されており、逆の選択肢。海軍拡張が英独対立を深め、三国協商の形成から第一次世界大戦へ向かう因果の起点として、史料の趣旨と外交転換を結びつけて読み取らせる探究型の頻出テーマ。

日本史・近世

楽市楽座

織田信長が安土城下などで楽市令を出した目的として最も適切なものはどれか。

  1. 座の特権を廃して商工業者を自由に活動させ、城下町の経済を活性化するため
  2. 座の特権を強化して既存の商人を保護するため
  3. 農民の商業活動を全面的に禁止するため
  4. 海外貿易を幕府の独占とするため

正解:1番

楽市楽座は座の特権や市場税を廃止して新興商人を呼び込み、城下町を経済の中心に育てる政策。「座を保護する」は内容が正反対のひっかけで、「楽」=規制がなく自由、と字義から覚えると誤らない。関所の撤廃とセットで、流通の障害を除いて経済力を軍事力に転化した信長の統一事業の一環として理解する。

太閤検地

豊臣秀吉の太閤検地がもたらした結果として最も適切なものはどれか。

  1. 一地一作人の原則で耕作者が検地帳に登録され、荘園制は事実上消滅した
  2. 荘園領主の権利が改めて強化された
  3. 土地の生産力が貫高で統一的に表示されるようになった
  4. 農民の土地所有がいっさい認められなくなった

正解:1番

太閤検地は統一基準(石高制・京枡)で全国の土地を測量し、実際の耕作者一人を検地帳に登録する一地一作人を原則としたため、重層的な荘園の権利関係は消滅した。表示は「貫高」ではなく「石高」であり、戦国大名の貫高制と混同させるのが定番のひっかけ。石高は年貢や大名の軍役の基準となり、幕藩体制の土台になった点まで押さえたい。

刀狩

豊臣秀吉の刀狩令が果たした役割として最も適切なものはどれか。

  1. 農民から武器を取り上げ、兵農分離を進めて一揆を防いだ
  2. 武士から刀を没収して戦国の争乱を終わらせた
  3. 鉄砲の生産を奨励して軍備を増強した
  4. 農民に帯刀を許して治安維持を任せた

正解:1番

刀狩令(1588年)は方広寺大仏造立を口実に農民の武器を没収し、農民を耕作に専念させて一揆を防止するとともに、武士と農民の身分を分ける兵農分離を推進した。取り上げた相手は「武士」ではなく「農民」であり、主体と対象の入れ替えが典型的なひっかけ。太閤検地・身分統制令と合わせて近世身分社会の出発点として整理する。

参勤交代

江戸幕府の参勤交代の制度がもたらした結果として最も適切なものはどれか。

  1. 大名に大きな経済的負担を課す一方、江戸と街道筋の経済や交通が発達した
  2. 大名の財政が潤い、幕府への反乱が相次いだ
  3. 大名は江戸に住むことを完全に禁じられた
  4. 農民が大名とともに江戸へ強制移住させられた

正解:1番

参勤交代(寛永の武家諸法度で制度化)は大名を1年おきに江戸へ参勤させ、妻子を江戸に置かせたため、往復の費用と二重生活が藩財政を圧迫した。他方で街道・宿場・江戸の消費経済が発達するという副産物も生み、「統制策が経済発達を促した」という因果の両面を問うのが探究らしい出題。負担で反乱の余力を奪った点も押さえる。

いわゆる鎖国

江戸幕府のいわゆる鎖国体制の説明として最も適切なものはどれか。

  1. 禁教と貿易統制が目的で、長崎・対馬・薩摩・松前の四つの口では対外関係が維持された
  2. 海外との接触が完全に断たれ、貿易も情報も一切入らなかった
  3. キリスト教国であるオランダとの貿易だけが認められた
  4. 幕府はすべての藩に自由な海外貿易を認めた

正解:1番

鎖国はキリスト教禁教と幕府による貿易・情報の独占が目的で、長崎(オランダ・清)、対馬(朝鮮)、薩摩(琉球)、松前(アイヌ)の「四つの口」を通じた交流は続いていた。「完全な孤立」と描く選択肢は現在の教科書的理解と異なる誤り。オランダが許されたのは布教を行わないプロテスタント国だったからで、「キリスト教国だから」という理由づけの錯誤にも注意。

徳川吉宗

享保の改革を行った徳川吉宗の政策として最も適切なものはどれか。

  1. 上げ米の制で大名に米を献上させ、公事方御定書で裁判の基準を整えた
  2. 株仲間を解散させて物価の引き下げを図った
  3. 異国船打払令を出して海防を強化した
  4. 楽市楽座令で城下町の商業を振興した

正解:1番

吉宗は財政再建のため上げ米の制(代わりに参勤交代の在府期間を半減)や定免法・新田開発を進め、公事方御定書や目安箱で制度も整備した。株仲間の解散は天保の改革(水野忠邦)の政策で、三大改革のどれかを問う入れ替え問題の最頻出パターン。「享保=米将軍の財政再建」と改革ごとのキーワードを対応させて覚える。

田沼と定信

田沼意次と松平定信の政策を比較した説明として最も適切なものはどれか。

  1. 田沼は株仲間の奨励など商業資本の活用で財政再建を図り、定信は倹約と農村復興など緊縮策をとった
  2. 田沼は倹約を徹底し、定信は商業を積極的に振興した
  3. 両者とも株仲間を解散させて物価を統制した
  4. 両者とも蘭学を全面的に禁止した

正解:1番

田沼は株仲間の公認・専売制・印旛沼干拓・長崎貿易の拡大など、商業・流通から利益を吸い上げる積極策をとったのに対し、定信(寛政の改革)は囲米・旧里帰農令・棄捐令など農本主義的な緊縮策で対応した。「商業活用の田沼」と「倹約の定信」を逆にするのが定番のひっかけ。二人の路線の違いは幕政の方向性を問う比較問題として最頻出。

松平定信

寛政の改革で松平定信が行った政策として最も適切なものはどれか。

  1. 朱子学を正学とし、湯島聖堂の学問所で他の学派の講義を禁じた(寛政異学の禁)
  2. 株仲間を積極的に公認して運上・冥加を徴収した
  3. 上げ米の制で大名から米を献上させた
  4. 人返しの法で江戸の人口を強制的に減らした

正解:1番

定信は寛政異学の禁で朱子学を正学と定め、幕臣の教育と統制を強化した。株仲間の公認は田沼意次、上げ米は享保の改革(吉宗)、人返しの法は天保の改革(水野忠邦)と、それぞれ別の改革の政策を並べた選択肢構成が試験の王道。「誰の・どの改革か」を政策単位で仕分けできるかが得点力を左右する。

水野忠邦

天保の改革で水野忠邦が株仲間の解散を命じた目的と、その実際の結果の組み合わせとして最も適切なものはどれか。

  1. 物価引き下げをねらったが、流通が混乱してかえって効果は上がらなかった
  2. 物価引き上げをねらい、みごとに幕府財政が再建された
  3. 商人の保護をねらい、株仲間はその後さらに拡大した
  4. 外国貿易の振興をねらい、開国が実現した

正解:1番

水野は物価高騰の原因を株仲間の独占とみて解散を命じたが、実際には流通機構が混乱し、効果は乏しく後に再興が許された。「政策の意図」と「実際の結果」のずれを問うのが探究型の典型で、意図どおり成功したとする選択肢が誘いになる。上知令の挫折とあわせ、天保の改革の挫折は幕府権力の衰えを示す論点として重要。

化政文化

19世紀初め(文化・文政期)に栄えた化政文化の特徴として最も適切なものはどれか。

  1. 江戸を中心に、庶民の間で洒落や風刺をきかせた文化が栄えた
  2. 京都・大坂の上方を中心に、新興町人の文化が栄えた
  3. 貴族を担い手とする国風の文化が栄えた
  4. 武士だけが担い手となり庶民は排除された

正解:1番

化政文化は江戸の庶民を主な担い手とし、滑稽本や錦絵(北斎・広重)、川柳など洒落・風刺・遊びの精神に富む文化である。「上方中心の新興町人文化」は元禄文化の説明で、中心地と時期を入れ替えるのが最頻出のひっかけ。教育の普及や出版・貸本の発達で文化が全国の庶民に広がった点も特徴として押さえる。

元禄と化政

元禄文化と化政文化を比較した説明として最も適切なものはどれか。

  1. 元禄文化は上方の町人を担い手とする現実主義的な文化、化政文化は江戸中心で風刺や退廃的な傾向も帯びた文化である
  2. 元禄文化は江戸中心、化政文化は上方中心である
  3. 元禄文化は武士のみ、化政文化は貴族のみが担い手である
  4. 両者は同時期に別の都市で並行して栄えた文化である

正解:1番

17世紀末〜18世紀初めの元禄文化は経済成長を背景に上方(大坂・京都)の町人が担い手となり、西鶴・近松・芭蕉らが現実の人間生活を生き生きと描いた。19世紀初めの化政文化は文化の中心が江戸へ移り、風刺・洒落や退廃的傾向、旅と名所絵の流行などを特徴とする。「上方→江戸」という文化の中心の移動を、経済の中心の変化と結びつけて説明させるのが探究の定番比較問題。中心地の入れ替えが最大のひっかけ。

日本史・近代

廃藩置県

1871年の廃藩置県が明治政府にとってもった意味として最も適切なものはどれか。

  1. 藩を廃止して府県に統一し、中央政府が全国を直接統治する中央集権体制を確立した
  2. 各藩の大名にこれまで通りの領地支配を認めた
  3. 農民に土地の所有権を初めて認めた
  4. 武士の身分特権を改めて保障した

正解:1番

版籍奉還では旧藩主が知藩事としてそのまま藩政にあたったため不徹底で、廃藩置県によって初めて中央政府の任命する府知事・県令が地方を治める中央集権体制が確立した。「版籍奉還=不徹底、廃藩置県=完成」という段階の違いを問うのが定番で、両者を混同すると失点する。土地所有権の公認は地租改正に関わる別の論点。

地租改正

1873年からの地租改正の内容として最も適切なものはどれか。

  1. 地価の3%を土地所有者が現金で納める仕組みとし、政府の歳入を安定させた
  2. 収穫高に応じて毎年変動する米納の年貢を維持した
  3. 土地の所有をすべて国有とし、小作料を徴収した
  4. 納税者を耕作者ではなく村全体とした

正解:1番

地租改正は地券を発行して土地所有者を確定し、収穫量ではなく地価を基準に3%(後に2.5%へ引き下げ)を金納させることで、豊凶に左右されない安定財政を実現した。「米で納める・収穫高基準」は江戸時代の年貢の説明であり、新旧を入れ替えた選択肢が頻出。負担がほぼ従来並みだったため各地で地租改正反対一揆が起きた点も因果として問われる。

民撰議院設立建白書

自由民権運動の口火を切った1874年の出来事として最も適切なものはどれか。

  1. 板垣退助らが民撰議院設立の建白書を政府に提出した
  2. 大日本帝国憲法が発布された
  3. 第1回帝国議会が開かれた
  4. 立憲政友会が結成された

正解:1番

征韓論争に敗れて下野した板垣退助らが、藩閥官僚の専制を批判し国会開設を求める民撰議院設立建白書を提出したことが自由民権運動の出発点となった。憲法発布(1889年)や帝国議会(1890年)は運動の「結果」側の出来事であり、順序を問う並べ替えでも頻出。「建白書→国会期成同盟→国会開設の勅諭→政党結成」という流れで覚える。

大日本帝国憲法

大日本帝国憲法(1889年発布)の特徴として最も適切なものはどれか。

  1. 天皇が定めて国民に与える欽定憲法で、天皇が統治権を総攬した
  2. 国民が制定した民定憲法で、主権在民を明記した
  3. 議会が内閣を組織する議院内閣制を明文で定めた
  4. 基本的人権を法律でも制限できない永久の権利とした

正解:1番

大日本帝国憲法は君主権の強いドイツ(プロイセン)流を模範とした欽定憲法で、天皇が統治権を総攬し、軍の統帥権など議会の関与できない大権を持った。臣民の権利は「法律ノ範囲内」で認められるにとどまる。主権在民・永久の権利は日本国憲法の特徴で、新旧憲法の比較は定期試験から共通テストまで最頻出の対比問題。

三国干渉

日清戦争後の下関条約に対して起きた三国干渉の内容と結果として最も適切なものはどれか。

  1. 露・独・仏が遼東半島の返還を要求し、日本は受け入れて対露感情が悪化した
  2. 英・米・仏が台湾の返還を要求し、日本は拒否した
  3. 三国が賠償金の減額を要求し、日清戦争が再開された
  4. 三国が朝鮮の独立取り消しを要求した

正解:1番

下関条約で日本が獲得した遼東半島に対し、満州進出をねらうロシアがドイツ・フランスを誘って返還を勧告し、日本は対抗できず受諾した。これが「臥薪嘗胆」の世論と軍備拡張を生み、日露戦争への伏線となる。干渉した三国(露独仏)と対象(遼東半島)の組み合わせを入れ替えるのが定番のひっかけで、因果の連鎖(日清戦争→三国干渉→日露対立)が問われる。

ポーツマス条約

日露戦争の講和条約(ポーツマス条約)をめぐって日比谷焼打ち事件が起きた理由として最も適切なものはどれか。

  1. 増税に耐えて戦争を支えた国民が、賠償金が取れなかった講和内容に不満を爆発させたから
  2. 日本が朝鮮での優越権を失ったから
  3. 樺太全島をロシアに割譲したから
  4. 講和に反対したアメリカが仲介を拒否したから

正解:1番

ポーツマス条約では韓国の指導権や南満州の権益、南樺太は得たものの賠償金は取れず、重税と犠牲に耐えた国民の不満が爆発して日比谷焼打ち事件が起きた。「賠償金2億両を得た下関条約」との違いが対比の急所で、混同すると即失点。国力の限界から日本政府が講和を急いだ事情と、国民に実情が知らされていなかったことのずれを問う探究的な論点でもある。

韓国併合への道

日露戦争後、日本が韓国を併合(1910年)するまでの流れとして最も適切なものはどれか。

  1. 協約で外交権などを段階的に奪って保護国化し、統監府を経て併合に至った
  2. いきなり軍事占領して即日併合した
  3. 韓国側の要請を受けて対等合併した
  4. 国際連盟の決議に基づいて委任統治した

正解:1番

日本は日韓協約を重ねて外交権の接収(第2次協約→統監府設置)、内政権の掌握と段階的に支配を強め、義兵運動などの抵抗を抑えて1910年に併合し朝鮮総督府を置いた。「段階的な保護国化→併合」というプロセスの理解が問われ、一挙に併合したとする選択肢は誤り。国際連盟の成立は1920年で、時代の合わない語を混ぜたひっかけにも注意。

大正政変

1913年の大正政変(第一次護憲運動)の説明として最も適切なものはどれか。

  1. 「閥族打破・憲政擁護」を掲げる運動が高まり、桂太郎内閣が退陣に追い込まれた
  2. 米騒動の責任をとって寺内正毅内閣が退陣した
  3. 普通選挙法の成立によって政党政治が終わった
  4. 軍部が反乱を起こして政党内閣を樹立した

正解:1番

陸軍の要求をめぐる政変で成立した第3次桂太郎内閣に対し、尾崎行雄・犬養毅らが「閥族打破・憲政擁護」を掲げて護憲運動を展開し、民衆も議会を包囲して内閣はわずか50日余りで倒れた。世論の力が藩閥内閣を倒した最初の例として大正デモクラシーの出発点に位置づけられる。米騒動による寺内内閣退陣(1918年)は別の出来事で、時期の混同が失点のもと。

米騒動と原敬

1918年の米騒動が日本の政治にもたらした結果として最も適切なものはどれか。

  1. 寺内内閣が倒れ、衆議院第一党の総裁である原敬による本格的政党内閣が成立した
  2. 軍部内閣が成立して政党が解散させられた
  3. 米の輸入がいっさい禁止された
  4. 天皇が直接政治を行う親政が始まった

正解:1番

シベリア出兵を見こした米の買い占めで米価が急騰し、富山から全国に広がった米騒動の責任をとって寺内正毅内閣が総辞職、立憲政友会総裁の原敬が爵位をもたない「平民宰相」として本格的政党内閣を組織した。「民衆運動が政権交代をもたらした」という因果関係の理解が核心で、騒動と内閣成立を別々に暗記していると結びつけ問題で失点する。

普選と治安維持法

1925年に加藤高明内閣のもとで成立した二つの法律の組み合わせとして最も適切なものはどれか。

  1. 納税額の制限を撤廃した普通選挙法と、国体変革などを取り締まる治安維持法が同年に成立した
  2. 女性参政権を認める普通選挙法と、労働組合を公認する労働組合法が成立した
  3. 制限選挙を強化する選挙法と、政党を禁止する治安警察法が成立した
  4. 普通選挙法だけが成立し、取り締まり立法は見送られた

正解:1番

1925年、満25歳以上の男性に選挙権を与える普通選挙法と、国体の変革や私有財産制度の否認を目的とする結社を禁じる治安維持法がほぼ同時に成立した。「参政権の拡大」と「社会運動の取り締まり」がセットで行われた点(アメとムチ)を問うのが探究らしい出題。女性参政権の実現は戦後(1945年)であり、「普選=男女平等」とする選択肢が最大のひっかけ。

民本主義

大正期に、ある学者は「憲法上の主権の所在は問わず、政治の目的を民衆の利福に置き、政策決定を民衆の意向に基づかせるべきだ」と論じた。この主張の説明として最も適切なものはどれか。

  1. 吉野作造の民本主義で、天皇主権の帝国憲法の枠内で政党内閣制や普通選挙の実現を説いた
  2. 主権在民を正面から要求した主張で、憲法の即時改正を求めた
  3. 社会主義革命による天皇制の廃止を説いた
  4. 政党政治を否定し、軍部による統治を唱えた

正解:1番

これは吉野作造の民本主義の趣旨で、「主権が誰にあるか」を棚上げにすることで天皇主権の明治憲法と矛盾せずに、民意に基づく政治=普通選挙と政党内閣制の実現を主張できた点が核心。「民主主義(主権在民)」とあえて訳語を区別したことの意味を史料の論理から読み取らせる、大正デモクラシー分野で最も差がつく問題。主権在民の要求と混同すると正反対の理解になる。